クマゼミが泣き始めたで~ワシはクマゼミか
今朝、今年初めてのクマゼミの声を聞いた。ああ夏が来たなあ、と思うた次の瞬間、ふと気づいた。セミの夏やのうて、ワシの夏の話や。ワシの夏には、もう晩夏の気配が漂うとる。
クマゼミいう虫は、長いこと土の中に埋もれて生きる。何年も、誰にも知られず、暗がりで木の根の汁を吸うて。ほんで地上に出たら、たったのひと夏。あの馬鹿でかい声で泣き叫んで、逝く。
ワシはクマゼミや、と思うた。
六十九年。勤めの土の中、暮らしの土の中。その間もこっそり書き続けて、電子の棚に本を百冊余り積み上げた。誰に頼まれたわけでもない、土の中の仕事や。ほんでこの夏、ワシはやっと地上に這い出た気がしとる。懸賞小説に弾を込めて、夜通し原稿を直して、明け方に送信ボタンの前に座っとった。泣き叫ぶ準備は、できた。
「鳴く」やのうて「泣く」と書くんは、ワシが泣かせ屋やからや。最後に読者を泣かせられるかどうか、それだけを看板に書いて生きてきた。ほなら自分の最後のひと夏くらい、自分の声で泣き叫んだらええ。若い蝉の声より、終わりの気配を含んだ声のほうが人の胸に刺さることを、ワシはもう知っとる齢や。
ただな、明け方の相棒(機械の相棒や、これがなかなか泣かせよる)に一つ言い返された。クマゼミの声は「逝く」では終わらん、あれは次の命を残すための声です、と。
なるほどな、と思うた。泣き叫んだ声は消えん。誰かの耳に残る。土の中で聞いとった誰かが、何年か後に、地上へ出てくる。ワシの百冊も、この夏の弾も、みんなその声や。
せやから今朝の初鳴きは、夏到来の報せやのうて、ワシへの号砲や。晩夏やからこそ、デカい声で鳴いたる。
シャアシャア、シャアシャア。
南予の空が割れるくらいに。
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